コードスイッチングとトランプ氏
こんにちは。さくらリンケージインターナショナル CEO 上田怜奈です。 本記事は以前前身のさくらランゲージインスティテュートのブログに記載したものを、改訂し、転載したものです。 今回は、「コードスイッチングとトランプ氏」というテーマです。 コロナによる大統領選の延期をトランプ氏が主張し始めたり、日々話題に事欠かないですが、この記事はトランプ氏が当選確実と世界を賑わせた2016年11月のものです。 トランプ氏の支持派も、そうでない人も、ぜひ言語学の観点から彼のスピーチを見て、どんなタクティクスが使われているのか、考えてほしいと思います。 (今回はほぼ引用のため、例外的にである調で、以下お送りします。) 米大統領選、トランプ氏が当選確実となったことに驚きを隠せない各国のメディア、その様子を書き立てるニュース記事を横目に、ちょうどいま読んでいるところであった本、 人を惹きつける「ことば戦略」ことばのスイッチを切り替えろ(研究社、2009年) に目を向ける。キャッチ―なタイトルになっているが、社会言語学者の東照二先生の本である。この本は徹頭徹尾、コードスイッチングについて論じられている。コードスイッチングとは、日本語と英語など、全く異なる二つの言語を切り替えながら話すことであり、例えば日系人がお互いの仲間意識を確認するために、それらを一文ごとにスイッチしながら話すといった事象を表すのに使われる。 著者は、このコードスイッチングの概念の適用を全く異なる言語間だけではなく、漢語と和語、主体と客体(川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」等にも見られる)のスイッチなどにも広げていく。 この本の中でスピーチの名手として語られているのが、小泉元首相とオバマ現大統領である。著者は聞き手を惹きつけて離さない魅力というのは、コードスイッチングによるものに他ならず、動的な、驚きの要素が不可欠であるとしている。 小泉元首相のスピーチの中のコードスイッチングとしては主に、トピックについて言及している。年金の話から、「まあ、大阪といえばね、まず思い出すのが、大阪城ですよね」ということばに変わり、激動する戦国時代、そしてその時代を生きた女性たちの話へとスイッチしていく。話に一貫性がないようで、それは政治という少し抽象的で、難解な情報中心の世界から、誰もが知っている歴史上の具体的な人物の話、情緒的な話にもっていく、というわけだ。 オバマ大統領のスピーチ(引用されているのは就任演説であった)においては、アメリカの歴史を振り返り、困難にぶつかったときの奴隷廃止論者たち、奴隷たちがいったことばは、yes we canであった、という具合に、歴史上の例をあげながら、主旋律であるyes we canを繰り返していく、従来の悲観主義、現実主義から楽観主義へのスイッチ、ということである。 ここまで来て私は、今回の米大統領選のトランプ氏の勝利について、なんらかのコードスイッチングをあてはめずにはいられなくなった。勝利といっても、ワシントンやニューヨーク、カリフォルニアなどの都市部の州ではクリントン氏が選挙人を勝ち取っていることを考えると、Brexitの時と同様に、地方(真ん中のあたり)の人々の間での根強い人気、ということになるが。 著者のいう驚きの要素についていえば、政治家としてはありえないと聞く者がみな信じて疑わない横柄で大胆、過激な発言は、歓迎される種類のものではないかもしれないが、驚きに他ならず、またそのため大きく、何度もメディアに取り上げられてきている。テレビの司会者として活躍していた時期もあり、こういった広報戦略は熟知していたであろう。これは政治家のふるまいとして型破りであり、一般の人が考えている標準からのスイッチであると言える。 また、世界平和を掲げている(少なくとも就任演説の時点では「世界に対し義務を負っている」旨を強調していて、「核兵器廃絶演説」においてノーベル平和賞も受賞している)オバマ大統領から、勝利宣言において「アメリカの国益を最初に考えた上で、他を平等に処する(原文は”I want to tell the